残酷な嘘
小説第二編「業」
雨
放課後「掃除」にて。
教室のガラスに雨滴が叩きつけるように降ってくる。
その日は雨で透たちいつものメンバーは詩織と愛を除き
掃除当番をしていた。詩織は吹奏楽部の練習とかで
行ってしまったからである。
「お、おい・・・・・・・・・・あれって鏡さんじゃねえか?」好雄の声で
透は雨の中校門で待っている魅羅に目をやる。その目はじっと
透のクラスを見つめている。
赤い傘が雨音を弾く中、それでも魅羅はじっと校門の外で待っている。
冷たい雨が魅羅のコートを弾き、手にしている赤い傘は
校門の雨煙る中で咲く一輪の花のように見えた。
「透、お前を待っているんじゃないか?そろそろ行ってやれよ。掃除は
俺たちでやっておくからさ」大樹らの声がする。彼もサボろうとして
夕子に見つかりコッテリと搾られた後だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」それでも透は箒を掃く手を止めない。
「お、おい。鏡さん待っているんだろ、早く行ってやれよ。きっと待っているぜ」
側に居た好雄が駆け寄る。
「あいつなら何とかして帰るだろ。それに俺はアイツの保護者じゃねえ」
「お前・・・・・・・・・本気で言っているのか?」あっという間に教室の雰囲気が険悪な物に変わる。
好雄が透を睨みつける。透も負けじと睨み返す。その雰囲気に他の生徒らも
どうする事も出来ずただオロオロしていた。
「てめえ・・・・・いつからそんなに冷淡になったんだ?」
「お前に言われたくないな。もともと魅羅とは何ともなかった。ただそれだけだ」
「・・・・・・・・・それがてめえの本心か?つまり遊びだったと言う事だな」
好雄が胸倉を掴み殴ろうしたその時・・・・・・・・・詩織が彼らの間に立ち入った。
彼女は忘れ物を取りに戻った時たまたま現場に遭遇したのである。
「駄目!!早乙女君、お願いだから止めて。透君、ちょっとイライラしているんだよ」
「でもよ・・・・・あそこまで付き合っていて遊びだったなんて・・・・普通怒るぞ。
それを・・・・・・・・お前どうしたんだよ、どうしてそんなに冷酷に言うんだよ!!」
詩織に言われ拳を下ろす好雄。それはどうしようもない何とも言えない表情だった。
「透君・・・・・・・・・・・・・・・」詩織は透を見る。
「詩織か。何でもねえからさっさと帰れよ。お前掃除当番じゃねえだろ」透の言葉は
あまりにも無情そのものだった。
パシン。透の右ほほが赤くなる。
その様子を見ていた連中は驚いていた。まさか優等生の彼女が手を上げて
透の頬を叩くとは思わなかったのである。
「・・・・・・・・・・・何子供やっているのよ!!貴方は何様のつもりよ!!
そうやって・・・・・・・逃げたら・・・どうするのよ・・・・・・・・・」詩織の言葉は
透の心に深く染み渡っていく。そして次第に涙声になっていく詩織に
透はハンカチを手渡そうとしたが詩織は透の手を撥ね退ける。
「いらない!!」そのまま教室を出て行く。慌てて美樹原も後を追うように
出ていった。
透はどうする事も出来ずただ立っているだけ。好雄が透の脇を通り際
透に聞こえるか聞こえない程度の小さな声で囁く。
「今のお前・・・・・・・・・・・・・まるで昔の鏡さんみたいだぞ・・・・・・・・早く
行けよ。ココにいてもしょうがないだろ。それにこんな雰囲気じゃ・・・・・・
おかしくなる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」彼は無言で教室を出て行く。
雨の中待っている魅羅を見て透はどうする事もできなかった。
校門で待つ魅羅はじっと教室を見ては透が出てくるのを
何時間でも待っている。
透はそれでも魅羅を避けなければならない。
今このチャンスを逃したら彼は魅羅に苦痛を与える存在に
なってしまうから。だからこそ彼は別れたいと思っていた。
これ以上の苦痛は彼女を過酷な運命に陥れてしまう。
それでも彼は出来なかった。傘を差して魅羅を迎える。
透の姿を見つけた魅羅は手を振って彼を出迎える。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」無言で手を振る透。
「どうしたのですか?」
「いや・・何でもない・・・・・・・・・・・」
どうしようもない無言の圧力が彼女にも重圧となって
圧し掛かってくる。
「ねえ、透?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえってば。ちょっと聞いていますか、透?」
「ああ・・・・・・・・・・・・」
「それじゃあ今私が言った事言ってみて」
「ああ・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」二人とも無言になる。
そうした状況がしばらく続いたあと、魅羅がため息を漏らす。
「どうしたの?貴方今日変よ?」
透はただ無言のまま歩く。その雰囲気は尋常ならざるものであった。
「そう言えばさっき藤崎さんが来たわ」
「詩織が?」
初めて言った言葉がそれである。
「それで・・・・・・どうしたんだ?」
「藤崎さん、笑顔でもうすぐ来るからね、って言っていたわ。
でも何か辛そうだったわ」
「・・・・・・・・・・・・・そっか」
「どうしたのよ、喧嘩でもしたの?」
「いや・・・・・・・・・何でもない。何でもないんだ」
「変なの」
透は詩織に何も言ってやる事が出来なかった。
透はどうしようもない死という概念が迫ってきている事に気がついていた。
それが何ともいえない焦りとなって自分に襲い掛かってきている。
それは生きとし生ける者には必要な条件でもある。
万物の霊長たる人間だけでなく全ての動物には
それなりの死という物が鎌首擡げて待っている。
だがそうしなければ食物連鎖が成立しない。
それが仏教やヒンズー教でも言われている業という概念でもある。
業
カルマとも言うべき一種の罪である。罪は償なければならない。
それが死ぬという事でもある。贖罪とも言うべきか。
雨の中走るように二人から逃げる詩織はただ傘も差さず
ひたすら走っていた。雨が涙と共に溶けてくれる事を願いながら。
詩織には分かっていた。どうする事も出来ない事が。
すでに透の優しさが苦痛になっていた。
だからこそ分かっていた。自分が透に守ってもらうのはこれで最後なのだと。
本当なら自分がその役目を全うしなければならない。
だがすでにその役目は自分では無くなっていた。
そして詩織は透から離れた。
そうしなければならないから。
それでも彼女は透を見続ける。それが惨い事になろうとも
詩織は彼の父との約束を履行しなければならない。
そして・・・・・・・・透を新しく見つめる事になった者は
学校でも美人で通っている人だった。
何時からか彼女は彼に恋心を抱くようになった。
嘘
それを知っているからこそ詩織は自分の携帯の番号を魅羅に教えた。
これから先は魅羅が透の宿命を背負っていかなければならない。
詩織は透の運命を知っている。詩織は魅羅にその運命を伝える事は
出来ない。
自分で知らなければならない。
自分で理解しなければならない。
詩織はこれから魅羅が背負う事になる運命をも知っている。
もし透と共に歩くなら。
それでも彼女に伝えられない。嘘を付いてでも。
それは何と罪深き事で残酷な嘘なのだろう。
彼が平然としている時間は残り僅か。四年目は命の賭けとなる。
そして命のルーレットが回りだせば誰にも止められない。
止めるとしたらそれは透が生きるという願望を捨てる時。
どこまで嘘が通じるだろうか。
どこまで許される物なのか。
罪という概念があるのなら罰せられるのが誰なのか
それは分からない。
許すのは誰か。許されないのは誰か。
高校生3年、10月から11月のある日。
透と魅羅は商店街を歩く。暮れも差し迫ったこの時期は特に混み、
かなりの賑わいを見せていた。
そして商店街のブティックに入る。ここは魅羅のお気に入りであり、彼女自身
少しでも透にスタイルやセンスの良さを見せ付けてやろうと
考えていた。そうすれば少しでも自分を見直すのではないかという
何ともいえない子供じみた企みがあった。
魅羅と店の店員はペチャクチャ話しながら色々と服を物色していく。
透は近くにあった椅子に腰かけそんな魅羅を見ている。
「ふ〜ん・・・・・・・・・・・」透は店内を物色してあちこち
服についている値札を見ては驚いている。
「ほら、どうかしら?透」試着室から出てきた魅羅は紫や赤の艶やかな服を着て
透の前でポーズをとっている。
「少し見直したかしら?」挑発的に笑う魅羅に透は素直に感心した。
「大したものだな」
「もうちょっと褒めても良いじゃない?」
透はしばらく歩いていたが急に彼は椅子を見つけるとどっかと
腰掛けてしまった。
「あら、どうしたの?もうお爺さんみたいに腰掛けて。あ〜あ見っとも無い」
「ほっとけ」
彼は笑ったが本当はそうではない。腫瘍が脳の神経を圧迫する為
時々こうした麻痺が起きてしまうのである。今回は
足に来た為座るしかなかったのである。
「どうしたのよ、ほら立って」
「いや、ちょっと疲れたんだ。まだ服はそれだけじゃないだろ、見て来いよ」
「え、ええ・・・・・・・・・」魅羅はそう言うと服を見ては試着室に入っていった。
「くそっ・・・・・・・・・・・今度は足か」しばらくして彼の両足が動き始める。
「このポンコツ・・・・・・・・・・・・」透は自分を詰るしかなかった。
「ほら、どうかしら、透?」目の前に赤の服を来た魅羅が立ち、
悩殺的なポーズをとる。
だが透は見ていない。自分の足を睨みつけている。
「少しは私を見たら?それともあまりに畏れ多くて
見ていられないのかしら?」
透は言われてから顔をあげる。
「ああ、魅羅か・・・・・・・・・・・・・・」
「ちょっとその言い方って何よ。少しは褒めたらどうなの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その服は?」
「私のお気に入りなの。これを貰おうと思って。これなら私の
貯金でも買えますし」
透はしばらく黙考した後店内を見渡してある洋服の前まで来る。
「ふ〜む・・・・・・・・・・・」そして魅羅と交互にその服を見る。
「俺はこれが良いじゃないかと思う」
「なっ・・・・・・・・何言っているの。私がそんな白い柄の服なんて
似合うわけないでしょう!!」
そこに飾られて合ったのは魅羅が選んだ色とは程遠い白い服であった。
と言うよりも白を基調としたシックな色合いの服だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・着てみろよ、魅羅」
「嫌よ」
「そっか・・・・・・・・・・・・・」
「嫌ったら嫌。そんなセンスの無い服なんて着たくないわ」
「俺は良いと思うんだけどね」
「貴方ねえ、私を馬鹿にしているでしょ」
それでも透はじっと飾られてある服を見つめる。
「ちょっと透!私着ませんわ。そんな服」
「ふ〜ん・・・・・・・・着ないの」
「ええ、そんな服」
「へえ・・・・・着ないんだ?」悪戯というか小悪魔な笑みを浮かべ
じっと魅羅を見つめる透。
「な、何よ」
「着てみなよ」
思わず頬が赤くなる魅羅。
「わ、私はそんな服・・・・・・・・・・・そんな服・・・・・・・・・・・」
「着ないのかなあ・・・・・・・そっか着ないんだ」
「ああもう、分かったわよ、分かりました」
魅羅はその服を持って試着室に入る。その時点で透の誘導尋問に
引っかかっていたのは言うまでも無い。
そして・・・・・・・・・・・
試着室のカーテンが開き、魅羅が出てきた。
「どう?全く私がどうしてこんな服を着なくちゃいけないのよ」
「似合う似合う」
「透!!あなたって人は・・・・・・・・・」
「ほら、見てみなよ」
透に言われて魅羅は店内を見渡す。店内にいた客や店員らが
魅羅の姿に見蕩れている。
「まあ紫でも良いだけどね。ただね・・・・・・・・それは年相応を
考えなきゃ駄目だな。お前さんの場合、服に着られているんだよ。
着られているんじゃまだ子供だと言う事だ」
魅羅は頬を赤らめて備え付けてある鏡を見る。
「嘘・・・・・・・・・・・・・・」そこにいたのは可愛い少女だった。
可憐で健気な少女が戸惑うような表情を見せている。
「これが私・・・・・・・嘘・・・・・・」
「まあそんなものかな。俺からみたら。店員さん、この服幾らですか?」
「ええっと・・・・・・・・2万9800円です」見蕩れていた店員が値札を見ている。
「税込みで3万弱か。分かった、この服を頂きたい」
「透!!」魅羅の素っ頓狂な声がする。
「宜しいのですか?」店員の声に透は頷く。
「いいえ、この服は私が買います」
「魅羅!!」
「貴方に貸しを作りたくないの。それに・・・・・・・・・・・・」
「それに?」
「見事なコーディネイトでしたから・・・・それ相応のお礼です。
受け取ってくださるかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かった」
魅羅と透はレジで代金を支払った後店から出てきた。
「良いのか、紫の柄のほうは?」
「構いませんわ。それに今回は気分が乗らなかっただけですから」
「負けん気が強いな、お前。素直にこっちが良かったと言えば
良かったのに」
「貴方に言われたくありません」ツンとソッポを向いて歩き始める魅羅。
そんな魅羅を見て透は呆れたように呟いた。
「全く・・・・・・・・・・・子供なんだから」
夕方から夜にかけて。
しばらく商店街や色々な場所に行って遊んできた二人は
神社にも足を伸ばしていた。というよりも彼が行きたいと
言ったので渋々魅羅もついてきたのである。
魅羅と透は公園を抜け、夏には祭りが行われている神社のほうへと
足をのばした。夏が終わり、秋口に差し掛かっているこの時期
神社は静寂な空気が包んでいる。
「もっと賑やかな場所はないの?」鏡の愚痴が聞こえる。
すでに神社の周りは暗く、空には満月が出ている。
それでも透は無言でスタスタ歩いていく。
「ああ、もう!!どうして私を気遣おうと思わないの!!」
愚痴をいう魅羅であったが透はそれでも歩き、苔むした石の階段を一歩一歩
登っていく。
「もう歩きにくい!!」魅羅はそうした階段を登ろうとしたがハイヒールを
履いている為、時々石階段の凸凹に足を取られそうになる。
「ほら・・・・・・・・・・」透が手を貸す。
「もう!!遅いのよ!!」
「じゃあ貸さない」
「あなたって人は・・・・・・・・・」
「素直になりなよ。それに・・・・・・・・・俺はギャアギャア騒ぐのは好きじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
躊躇している魅羅の手を乱暴にとるとそのまま注意しながら透は
登り始める。
「ちょっと・・・・・そんな事頼んでいない!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」無言になる透。
魅羅にはどうして透が黙っているのかよく分からない。
魅羅は透を見て何か・・・・・・・・・・・一種の儚さを感じ取っていた。
まるで生きているのを拒絶しなければならないような理由・・・・
そうした雰囲気が彼を包んでいる。
それは逃れられない運命のような・・・・・・・どうやったら
こんな雰囲気が出るのか彼女にはよく分からなかった。
ただ藤崎詩織が言っていた事が気になった。
(・・・・・・・・もし彼に何かあったら・・・・私に携帯かPHSで電話して。
貴女にしか頼めないから・・・・・・・)
あれはどういう意味だろう。まるで彼に何か起きる事を予想しているかの
ような反応だった。魅羅はそれが何を意味しているのか
よく分かっていなかった。ただ彼女はこうした会話を楽しんでいる。
彼との会話は喧嘩腰のものだったけどそれでも楽しいと思っていた。
だからこそそれがずっと続くものだと思っていた。
そして階段を上がりきると境内の周辺は薄暗く、
かすかに雲に霞し月は仄かな光しか境内に与えない。
透は簡単にお参りをすると魅羅もそれに倣い、お参りをする。
「・・・・・・・・・・・・ちょっと歩いてくる。魅羅は・・・・・・・・・・・・」
「????????」
「いや、何でもない。帰ってもいいし、俺に付き合っても良いよ」
彼の言葉は珍しく優しいものだった。
「どうしたのかしら?さっきみたいに軽口を叩いてもいいのよ」嫌味っぽく
いう魅羅をよそに透は無言で境内をうろつく。
そして裏のほうへ回る。そこは何もなくただ満月が差し込む静寂な
空間が広がっていた。
魅羅はしばらく境内にいたが透の事が気になり裏のほうへ回った。
本当なら帰っても良かったのだがこんなところに一人でいたら遊園地の
惨劇を思い出してしまうので結局帰らずにいたのである。
怖いといえば怖いのだが。
だが魅羅は思わず歩みを止めた。そこにいた透はあまりにも儚げだった。
スタイルが良い少年が月の光に照らされている光景は魅羅でも
ボーっとしてしまうがそれよりも彼女にとって不思議なのは
彼はその光すら見ようとしないという事だった。
あまりにも彼の目は何も写っておらずただ草むらの闇黒を
見ては物思いにふけていた。
まるでこの世を儚んでいるように見える。
死出の旅に出るわけでもないのに・・・・・・・。
これが魅羅の感想だった。ただあまりにも儚さが彼に合っている。
そうしてみると彼がバイクを乗り回し、勉強もそこそこにし、
自分の夢を魅羅に語った時の彼は何だったんだろう、と考えてしまう。
あの時バイクを楽しそうに乗っていた彼と
ここにいる彼はどこが違うというのだろう。
燃え尽きようとしているろうそくは蝋が底にたまりその時だけ勢いよく燃える。
彼はまるでその蝋燭のように見えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうした、魅羅?」ふと彼は自分を見つめている
視線に気づく。
「どうもしませんわ。ただ貴方は何をしていらっしゃるのか興味があって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・どうもしねえよ。ただ月を愛でているだけだ。
菅原の道真公は梅を愛でたというぞ。末期の短歌にあったがな」
彼の言葉は皮肉だったのだろうか、それとも自分を嘲笑ったのかは
分からない。だが魅羅はその末期という言葉が気になった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」しばらく無言のうちポツリと彼は言葉を漏らした。
「魅羅・・・・・・・・・・・・・・俺がどこかに行ったらお前清々するだろ?」
「何よ、それ。そうね、清々するわ。貴方みたいな嫌味でぜんぜん人の気持ちなんて
知ろうとしない人ならなお更ね」
「そっか」透の表情は分からない。ただ満足げに頷くとそのまま帰ろうとした。
「帰ろうか。お前の親御さんも心配しているだろうし」
「あっ、そ、そう」呆気に取られた魅羅はただ透の後をついていくだけ。
「ほら・・・・・・・」透は魅羅の手を引く。
「えっ・・・・・・・・・・・・」
「良いから。お前を先に行かせたら階段から落ちてしまいそうだ」
「離しなさい・・・・・・・・えっ・・・・・・・・・・」
魅羅は透の手が冷たいという事に気がついた。確かに
体温はあるのだが・・・・・何か冷たさという鎧が包んでいるかのようだった。
「どうして・・・・・・・えっ、貴方・・・・・・えっ・・・・・・・・・」
境内の途中で透は止まった。そして背中越しに魅羅に話そうとする。
「どうしたのですか?さっさと歩きなさい」
「魅羅・・・・・・・・・・もし生きているという事を神様が許さないとしたら
お前・・・・・どうする?」透は魅羅を見ようともしない。
「そんな事ありませんわ。第一死にたくて生きているという人は
おりませんもの。貴方もそうでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
透はおもっきり魅羅を抱きしめた。
「と、透・・・・・・・・・・・君・・・・・・・・・」
「今だけ透って呼び捨てでいい。こうしていないと俺、崩れてしまいそうになる。
ただの土くれになってしまいそうだ」
「な、何言っているの・・・・・・・・・・・・・」
「何でもない・・・・・ただこうしていたいんだ・・・・・・・・しばらくでいい、
ちょっとこうしていてくれ・・・・・」
「透・・・・・・・・・・・・・・・・どうしたのですか・・・・・」頬が真っ赤になる魅羅は
どうする事もできずただ透の抱擁を受けていた。
「どうもしない・・・・・・どうもしないんだ・・・・・・・・ただ・・・・・・・・
どうする事も出来ない事を自分がクリアできなくて・・・・・・・」
「何言っているのか分からないわ・・・」
「分からなくて良い。ただ・・・・・・・こうしていたいんだ。人の体温がこんなにも
暖かいなんて・・・・・・・・・・」
「何を言っているのかよく分からないわ。どうしたのよ、しっかりして!!」
魅羅の言葉で正気に返った透はちょっと離れるとまた無言のまま
階段を下りていく。
「あっ、ちょっと。もう手を引いて下さらないの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・分かった」魅羅の手を引いて下りていく透。
(あっ・・・・・・・・・・良かった。暖かいわ。さっきのあの冷たさはなに?)
魅羅はホッと安心していた。このまま彼の手が冷たかったらどこかに彼が
行ってしまう様な気がして嫌だったのである。
例えば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・透だけがいける場所。
古代の日本に伝わっている黄泉比良坂。出雲の国。冥界。
死後の国。天国。
彼は終始無言だった。何も言わず何も聞こうともしない。
「ちっ・・・・・・・・・・・左手が・・・・左腕が・・・・・・・」
魅羅は彼の独り言を耳にした。右手は温かいのに今彼は左手を
見ては嘆息している。そして指を動かそうとしているのだが
不思議な事に彼の意思に反しているかのように左腕は
ピクリともしない。
「魅羅、もう良いか。ここまでくればあとは自分で降りられるだろ」
透の言葉に魅羅はハッとして辺りを窺った。目の前に
鳥居があり、あと2〜3段で下りられるところまで来ていた。
「えっ・・・・・あっ、そう、そうね。ご苦労さま」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」礼を言ったつもりだが透はほとんど無言で
必死になって左手首を必死に抑えている。
そしておもむろに左手を鳥居の壁に叩きつける。
「何しているの!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ガシッ、ガシシュ・・・・ガン、ゴン・・・・・・
嫌な音がしている。魅羅は耳を塞ぐしかない。そのうちに血まみれの
手になった所で透は一呼吸ついた。
「良かった・・・・・・・・・・・激痛がある・・・・・・良かった・・・・・・・・まだ
俺は生きられる・・・・・・・・・・」
「は、早く救急車を!!」透はすっかり魅羅の存在を忘れていた。
一緒に帰る事も忘れて今の行為に夢中になっていた。
「うん?」透は手を見る。そこからは血がボタボタ滴り落ちている。
「血・・・・・・・・・?どうして出ているんだ?」
「貴方何言っているの!!どうして分からないの!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「とにかくこれで応急処置するから。ほら早くハンカチで止血して!!」
魅羅は手際良く自分のハンカチを透の左手に巻いていく。
「上手いな」
「それほどでもないわよ。妹や弟の世話しているんですもの、このぐらいの事は
良くやっていたわ」
「そっか。お前看護婦か介護士のほうが
向いているような気がするな。そうした資格は取らないのか?」
「どうして?」
「お前・・・・・何だかんだ言って学校で高慢な態度とるけど
本当のお前はとても優しい人で弟妹思いの姉だと思う。
だからこそ家庭的な事を一手にしてきたんじゃないかな。
お前はもっと素直になって本当の自分を出してみた
ほうが良いんじゃないか?そうした意味合いからも資格をとって
人の役に立つ事をしてみたらどうだろうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それにお前見ていると片意地はっているような気がして肩に
力が入りすぎている。そんなに大勢の男子引き連れても
結局心の底から心配してくれる男子は何人いるか。
俺が見たところ、そんなにいない。まあこれは俺の主観だが」
「結構痛い事言ってくれるのね。だったら貴方ももう少し気の使い方というのを
学んだらいかがかしら?」
「誰に?」
「そうね・・・・・・・・・・例えば藤崎さんに。貴方と良いカップルに
なりそうじゃない」
鏡が珍しく冷やかす。だが透は鏡の言葉に真っ向から否定した。
「詩織は俺にとって妹みたいなものだ。生まれたときから
俺は詩織と共にいた。俺のほうが
早生まれでね、小さいころはよく詩織は俺の後をくっ付いて
いた。今詩織にそれを言うと怒るけど昔はよくお兄ちゃんって
言っていたんだよ。だから俺にとって詩織は・・・・・・・
良く出来る妹みたいなものだ。だから俺が守ってやらなきゃ
いけないんだ・・・・・・・・・・・・」
それでも透は最後まで言わなかった。
そう・・・・・・・・・・・・でも俺が詩織に出来るのはココまで。俺の身体はすでに
ポンコツだから。
それは彼が最後に言おうとしたものだった。でも言えなかった。
「でも俺が心の底から好きだと言える人は・・・・・
とても家庭的な人で自分の表現がへたくそで
学校でとても美人と通っている人だ。そして
「ヴァージニア・スリム」を愛用していて俺のバイクにぶつかりそうになって
豪快にコケた人だ。
まあ・・・・多少遊園地のおばけ屋敷を怖がっていたが・・・・・・そういう人だ」
「あんまり嬉しくないけど・・・・・・・・」
「それでも・・・・・・・俺はお前が好きだ」
「透・・・・・・・・・・・・・・・・」鏡が嬉しそうに身体を透に預けてくる。
そして・・・・・・・・・・・魅羅は透を強く抱きしめる。
「どうして好きになっちゃったのかしら・・・・・・最初はそんな気持ち
無かったのに」
「どうしてかな?」
冷たき月光の輝く中神社の前で二人は抱きしめあう。
「それはたぶん貴方のせいね。貴方が今まで無かったタイプだから」
透はおもむろに鏡の顔を優しく向けさせる。彼女の瞳はすでに潤み
涙が溢れている。
「・・・・・・・・・・・・・・・私・・・・凄く下手で・・・・・・・・・・」
「そんな事分かっている。だからお前を選んだんだ」
「どうして・・・・・・涙が止まらないのかしら。
こうなる事を期待していたのかな」
「さあな。ほら目を閉じろよ」
スッと魅羅の瞳が閉じると透も目を閉じて顔を近づける。
「優しくして下さいね・・・・・・・・・」
そして魅羅の唇に優しく甘い感触が触れるとそのまま
透はギュッと魅羅を抱きしめる。
「キスするとそのカップルは結婚しなくちゃいけないって
ご存知?」
「そんな法律誰が作ったんだ?」
「・・・・・・・・・・・・私です」
そう言って魅羅の顔はあっという間に赤くなる。
「お前にしちゃ恥ずかしくなる冗談だな」
「そうよ。女の子はね、自分に都合の良い嘘でも
それは正しい事になるのだから」
「男は大変だな。女の子の冗談に付き合うのだから」
「ふふふ・・・・・それでも可愛いものでしょ」
「まあな」
「それに・・・・・・・・女の子はね、都合の良い嘘をついても
それでも正しかったらその道を信じて進んでいくのよ。
どんなにその道が苦しくて嫌な道だとしても」
「そっか。それだったら魅羅の夢ってなんだ?」
「モデルよ。貴方の夢はなに?」
魅羅は興味津々に聞いてくる。だが透は答える事が
出来ない。その意味を知っているから、今から魅羅に伝える
事は残酷な嘘になるから。それを知っているから余計に
魅羅が哀れになってくる。
それでも透は小さい頃見ていた夢を話す。
「バイクのレースに出場してみたい事かな」
「何それ?そんなこと出来るはずないじゃない」
「出来るものさ。人間やってみなきゃわからない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・透はそう言うのだから・・・できると思う。
私・・・・・出来る限りの応援するから・・・そうよ、きっと透ならできるわ」
透はそれを聞いて嫌な顔をした。そういう魅羅が嫌だった。夢を語りあっても
彼には時間が無い事も知っていた。だから適当な事を魅羅に言った。
騙すようで嫌だった。それでも透は言わなければならない。
「それから・・・・・・・・魅羅。頼みがあるんだ・・・・」
「何?どうしたの?」
「ああ・・・・・・・・・・・・もしな、俺が何かあったら・・・そうだな
泣かないでくれるか?」
「泣かないって・・・・・・・・私泣かないわ」
「今じゃなくて・・・・・・・・将来にだな。もし泣くような事があっても
魅羅はちゃんと前を見続けて欲しい」
「変なの。まるで遺言みたい。どうしてそんな事言うの?」
「いや。もし俺が海外のレースに出るような事になったら会えなくなるだろ。
そうしたらお前の事だから追いかけてくるんじゃないかと思って。
だからそれを予想して」
「クス・・・・・・・・・・・・・・大層な自信家ね」魅羅の表情が和らいだ。
「だからそうなったら・・・・笑って見送ってくれ。そうして欲しい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌よ・・・な〜んて言ったら貴方どうする?」
魅羅が小悪魔な笑みを浮べて透に迫る。
「だったら・・・・・こうする」
月の光に照らされて二つの影が一つになる。
そしてゆっくりと離れる。
「透がそうしたいのなら・・・・・良いですわ。私・・・・・・笑っていますね。
だから・・・・・裏切らないで下さいね・・・・・」潤んだ瞳には透の姿しか
写らない。
「ああ」言葉少なめに言う透の胸がズキンと痛む。
今思えばそれはあまりに残酷な嘘だったかもしれない。でも
今なら魅羅に残酷な運命を、過酷な運命を与えずにすむ。
このままそっと別れよう・・・・それが彼の本心だった。
でも・・・・・・・・・・それが出来ない事も彼は知っていた。
だからこそ・・・・・・・・・透は魅羅から離れることが出来なかった。
それでも彼は魅羅と会わないようにした事もあった。
だが出来なかった。どうしてだか分からないが
そのまま別れることが出来なかった。
そして・・・・・・・・
透と魅羅がこうして付き合ってからすでに一年を迎えていた。
桜が散り、そしてまた桜が咲く。
そして透は・・・・・・・・・・・・・・運命の日を迎えようとしていた。
だがすでに彼の身体は限界に来ていた。
精神が持ち堪えても肉体がすでに限界を越えている。
それでも彼は魅羅と笑っていた。身体にはしる激痛に
耐えながら。
だからこそ彼は魅羅を受け入れたいと思った。
それは彼女も同じだった。彼と一緒にいたい。
その想いが如何に残酷なものかを知らずに。
魅羅にとって・・・・・・・・・・・・・・・・
試練の三年が始まったのであった。
(あとがき)
第二編何とか完成ですが・・・・・まだ修正が必要かも
しれません。では。
おし。
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