破れた風船(上)

リュカ「じゃあ、お休み…」
ピエール「はい、お休みなさい、リュカ」
 リュカは甲板で見張りをしているスライムナイトのピエールににこやかにお休みの挨拶をすると、船首に向かって踵を返した。
あのサラボナでの『運命の選択』から早三ヶ月。ルドマンに、フローラに、サラボナの町民達に過剰な迄の祝福を受け、リュカとビアンカ、そして仲間の魔物達は、その祝福の証の一つである大型船で一路、天空の勇者への足掛かりとなるであろうテルパドールへと航路を進めていた。
 リュカは思い返す。人生最良の日となった、あの運命の日を。
 ―愛しい人と永遠の絆を誓う婚姻の儀。そしてその証となる甘いくちづけ。祝福に彩られた豪華な宴でも、新婦の高潔と純潔を表す豪奢なウェディングドレスに、金色の滝のようなブロンドヘアーがよく映えていたっけ。
 ―そう、全ては順調で、毎日が何の憂いも無い『はず』だった。
 僕の愛しいビアンカはいつもの様に明るくて、陽気で、たまにちょっとすねたりして、でも太陽の様な笑顔を絶やさなくて。―一緒に絶えず笑い合って。
 毎日が一時も翳らず輝いて、彼女はいつどんな時でも幸せそうな笑顔を僕にくれる―そう信じていた。
 だけど。
 リュカは悔いる。己の無思慮を。己の配慮の無さを。
 『それ』は『運命の選択の日』から間もなく起こった。
 それはリュカの予測の範疇を越えた事だった。
 決して、結婚の現実を突きつけられてそのギャップに幻滅したとか、ビアンカに自分の身勝手な理想を突きつけて裏切られたとか、そんな程度の低い悩みではない。
 リュカは思慮深い。そんな現実と理想のギャップは充分承知の上で、結婚という選択を行い、それを受け入れた。

 勿論、実際にはリュカとビアンカのお互いへの深い絆と理解は、そんなものを些事ともしなかった。
 ―だが。
 甲板を自室へ歩きながらリュカは考える。
 ―そうじゃない。そんな浅はかな事じゃないんだ。
 僕の事なんてどうでもいい。僕がいくら苦しもうと傷つこうと、ビアンカさえ笑っていてくれればそれでいい。そう、重要なのはそこだ。僕にとっての幸せは彼女が幸せでいてくれる事だ。ビアンカさえ幸せなら、それでいいんだ!
 でも、今の彼女は!!
 この三ヶ月、リュカの思惟はいつもそこで行き詰まる。そしてその思考時間は、丁度みんなのいる場所から自室の扉の前に立つまでの時間であった。
 リュカは今、葛藤していた。
 この扉を開けたい。中には彼女がいる。一刻も早くこの扉を開けて、愛しい人の顔を見たい。そして彼女もそれを切望しているだろう。
 しかし、それは同時に、リュカにとって最も見たくないものを直視しなければならないという事でもあった。
 胸に一抹の不安と、哀しみ。そしてそれを押さえつける勇気と決意でリュカは扉を開ける。
 ギィィ…
 まずベッドに目をやる。この時間、彼女は必ずベッドでリュカが自室に戻ってくるのを待っているからだ。
 そして、彼女はいた。本当なら、ここで、彼女は優しく微笑んで「おかえり」とごく自然に挨拶を交わしてくれる筈だった。
 だが、彼女の第一声は。
 嗚咽だった。泣いていた。耐えきれないものが絶えず溢れ出ている、そんな啜り泣きだった。
 リュカにとって最も聞きたくない『音』。ビアンカの泣き声は、リュカの心をも痛みで包んだ。そこでビアンカがようやく顔を上げる。リュカの最も見たくなかったもの。
 哀しみに彩られたビアンカの泣き腫らした顔。
ビアンカ「どこに行ってたの?一緒にいてくれるって…言ったのに…寂しかったよぉ…」
 しゃくり上げながら、ビアンカがリュカに切なげに問い掛ける。
 リュカは彼女にひどく責められてる気がして、さらに心が痛んだ。
リュカ「ごめん…会議が長引いて…」
 リュカはベッドの前でやや屈んで、視線の高さをビアンカに合わせた。
ビアンカ「あたしといるのが嫌になったの?…やだ…そんなのやだ……嫌ぁ…」
リュカ「そんな訳無いだろ?…バカだな…そんな訳無い…」
ビアンカ「…本当に?」
リュカ「当たり前だろ」
 リュカはベッドに腰を下ろして、ビアンカに優しく微笑み掛けた。本当なら笑ってられる心境ではないのだが、少しでも彼女を安心させる為だ。
 すると、ビアンカはのそのそとリュカに寄りかかって来る。全身をリュカに預ける様に縋り付いて、その繊細な指先を彼の頬に這わせた。
ビアンカ「リュカ…あたし…ずっと寂しかった…寂しかったよ…」
リュカ「……」
ビアンカ「怖かった……怖かったよぉ……!!」
 と、ビアンカは急に激しく慟哭した。ぎゅっと、リュカを抱きしめる腕に力が籠もる。
リュカ「分かった…分かってるよ……もう、大丈夫。大丈夫だから…」
二人はこの三ヶ月間、毎晩同じやりとりをしていた。
ビアンカは再会してからプロポーズの瞬間まで強い女性を演じていたが、本当はもう限界だったのだ。
 ―リュカにフローラさんと幸せになって欲しいって言ったけど。
 自分の事は心配しないでいいって言ったけど。
 そんなの嘘だ。強がりもいいとこだ。
 自分で自分を追い詰めて、一人バカみたいに強がって。
 子供の頃から大事だった人が、世界でただ一人はっきりと「愛してる」と思える人が永遠に自分の手の届かない所に行ってしまうというのに。
 平気な訳が無い。
 そしてそれは本人すら気付かぬ内に大きなプレッシャーとなって、知らずビアンカの心を蝕んでいった。
 だが、それはそのままなら爆発せず、彼女の中で澱となって淀んでいただけかも知れない。

 ヘタに彼女の中の爆弾に触れさえしなければ。
 その風船爆弾を割ったのは他ならぬリュカだった。
 リュカは結婚式の日、ビアンカを抱きしめてこう言った。
 ―もう、強がらなくていい。強さを演じる必要は無い。
 これからは弱さをさらけ出して欲しい。本当の君をさらけ出して欲しい。
 僕が君の泣ける場所になってあげる、と。
 それは端から聞けば自惚れに聞こえるかも知れない。だが、リュカはビアンカの事を全て見通していた。
 ずっと前から大事な人だったから、その心を汲み取っていたのだ。
 ただ、その台詞は言うのが遅すぎた。
 もっと、ビアンカの中の風船爆弾が膨らみ始める前に言うべきだった。
 ビアンカの中で何かが弾けた。
 自分の心を完全に隠し通せていたと思っていたのに、少なくとも自分では包み隠しているつもりだったのに。
 結局、一人で空回りしていただけ。まるで道化だ。
 ―ああ、じゃあもう強がる必要ないんだ。演じる事も我慢する必要も無い。じゃあもういいや。もう疲れちゃった。リュカがいればいいや。どんなに他の人間から蔑まれようとも、軽蔑されようとも、リュカが弱いままでいいって言ってくれてるんだから関係無い。もし馬鹿にされたらリュカに縋って泣けばいい。リュカはきっと優しく頭を撫でて慰めてくれるだろう。困った事があったら、リュカに寄り掛かって頼り切って生きていけばいい。リュカだけはあたしの事を解ってくれる。リュカさえいれば…リュカさえ…リュカ……
 リュカリュカリュカリュカリュカ…
それまでビアンカのガラスのアイデンティティを形成していたものが、跡形もなく砕け散った。
 ビアンカにとって、十余年は長すぎた。それはリュカだってそうだろう。
 だけど、どんな聖人も悪党も自分の心を偽る事は出来ない。
 どんなに強く見せ掛けようとも、心の本質を虚勢の殻で包み隠そうとも、真実は一つ。
 ビアンカは、弱い人だ。
 見せ掛けだけの強さではどうにもならない事もある。
 十余年間大事な人に会えなかったという事実は自身も気付かない内に彼女の中でゆっとりと、しかし確かな寂しさと恐怖となり、それは彼女のアイデンティティの偽りの強さの糧となっていった。

 そんな物で構築されたアンデンティティにちょっとでもひびが入ったら、どうなるか。
 ビアンカは泣いた。赤子のように、母親にきつく叱咤された幼子の様に、その時ひたすら泣きじゃくった。リュカはそんなビアンカをたまらなく愛おしく思えた。
 しかし―。
 それから二日経っても三日経っても、ビアンカの頬から涙の跡が消える事は無かった。

 そして三ヶ月経った今なお、ビアンカの心は栓の壊れてしまった浄化の涙で満ちていた。
ビアンカ「リュカぁ…みんなが、みんながあたしの事いじめるの…」
リュカ「…え?」
ビアンカ「みんながあたしの事、捨て子だ捨て子だっていじめるの…」
リュカ「………」
 夢を見たのか、それとも幼児体験のトラウマが吹き出して来たのだろうか。
ビアンカ「リュカは、あたしの事いじめたりしないよね?リュカだけはあたしの事、ずっと好きでいてくれるよね?」」
 リュカは思わず涙が溢れそうになった。
 自分の軽率な言動が、ビアンカの心を壊してしまった。自分の配慮の無さが、ビアンカの笑顔を奪ってしまった。
 自分は良かれと思ってああ言ったのに。ああ言えば、ビアンカは今迄以上の笑顔を僕に向けてくれると思ったのに。
リュカ「ビアンカ……!!」
 思わず彼女の身体を抱きしめる。か細い、消え入りそうな彼女の繊細な肢体を。
リュカ「そんな奴等、僕が絶対許さない。そんな奴等、地の果て迄も追い掛けて、僕が必ず後悔させてやる。…だから、君がそんな奴等の為なんかに苦しむ必要ないんだ。だから…」
ビアンカ「あたしの事、好きでいてくれる?」
リュカ「当たり前だろ!!」
 ―何でそんな哀しい事言うんだ!
 リュカは出来るものなら、この怒りを誰かにぶつけたかった。それは、自分に向けられるべきものだと充分承知しながら。
 だが、今日はそんな事より大事な事があった。

 今日リュカは、ある重大な決意をしてここへ帰って来たのだ。
リュカ「ビアンカ、今日は君にお土産があるんだよ」
ビアンカ「…お土産貰えるの?…わぁ、リュカのお土産、嬉しいな…」
 ビアンカの顔に一瞬、満面の笑みが戻った。でも、涙は止まらない。
リュカ「うん、そんな奴等の事なんか忘れて楽しくなれる物だよ。きっとビアンカ、気に入ってくれると思うな。哀しい事も、辛い事も、きっと忘れられる…」
ビアンカ「えへへ…嬉しいな…」
 リュカはそんな彼女を自分でも驚く程落ち着いた気持ちで見つめていた。
 そして、唇をきゅっと結ぶ。
 ―ビアンカ。
 一緒に堕ちよう…。
 リュカは最後の決意を固めると、腰の道具袋から小さな包みを取り出した…。

              ―つづく―

破れた風船(中)

リュカはその小さな包みをそっと開いた。
中には―粉薬が入っていた。
いや、粉と呼ぶには余りに粒が粗い。恐らく、一般で使われる薬草の様に材料となった植物をただ粗くすり潰しただけの「生薬」という類の精製法なのだろう。粒の中には植物の根の様な質感を残した物もあり、その植物以外の余計な成分が入っている様には見えない。
リュカ「ビアンカ、目を瞑って」
ビアンカ「…お土産は?」
リュカ「目を瞑ったらすぐあげるから」
ビアンカ「うん…分かった」
ビアンカは素直に目を閉じた。その表情は期待に満ちて、とても嬉しそうに見えた。
リュカは彼女が目を閉じるのを見届けると、おもむろにその生薬を呷ってテーブルの上の水差しから水を含んだ。
―そして。
ビアンカ「ッ……!??」
突然唇に暖かい感触を感じてビアンカ思わずは目を見開いた。すぐ目の前には愛しい人の顔。視界をリュカの端正な顔立ちが覆っていた。
―なあんだ。お土産ってキスの事か…。うふふっ、でも嬉しいな…♪
確かにビアンカにとってリュカに愛される事以上の褒美は無いだろう。ビアンカはただ恍惚とした目つきでリュカに身を任せていた。と、
ぬるっ…
いきなりリュカの舌がビアンカの歯茎を舐め上げた。奥歯の奥まで、リュカの舌がビアンカの口内を蹂躙しようと掻き回してくる。
―ふぁッ……気持ち…イイ……vv
ビアンカはその心地良さに思わず自身の口をだらしなく開いてしまう。
リュカの唇で塞がれた口元の僅かな隙間からうっすらとよだれが垂れた。
しかし、それこそがリュカの狙いだった。
どぷっ……
ビアンカ「んっ……!?」
気を抜いて思わず開いてしまったビアンカの口内に、間髪入れずリュカの口から液体が流し込まれた。ビアンカは反射的に口を閉じようとするが、リュカの舌を差し込まれていてままならない。
どぷっ、どぷっ、どぷっ…
リュカは構わず彼女の口内に口移しで液体―先程の生薬を流し込む。塞がれた口元から今度はその液体が滴り落ちた。ビアンカの口に生薬独特の渋みのある
甘辛い様な風味が拡がっていく。
さらにリュカは口を塞ぎながら彼女の顎を傾けて天を仰がせた。リュカが半立ちになり、覆い被さる様な形で彼女に口移しを続ける。
ごくんっ、ごくんっ…
それによってビアンカは喉が開き、殆ど強制的に液体を飲み干していく。
ビアンカ「んっ…ぐっ…んんっ……んんーッ!!」
ビアンカは突然の口内への侵入者に本能的に抵抗しようとするが、リュカの舌で口内を掻き回されると力が抜けて抵抗出来なくなってしまう。
やがてひときしり彼女の口に液体を流し込むと、自身も口内に残った生薬を飲み込む。量はビアンカの2/3といった所だろうか。
そこで、ようやくリュカの唇がビアンカのそれから離れた。
ビアンカ「げほっ、げほっ…リュ、リュカ…一体何を……?」
リュカ「言ったろ、とってもいい物だよ…」
ビアンカ「え……??」
と、
ドクンッ……
ビアンカ「へっ……!?」
ビアンカの身体を突如何かがこみ上げて来た。
ビアンカ「な…何ッ……!?」
それは得体の知れない熱さとなって、ビアンカの内側を灼く様であった。
ビアンカ「熱い…身体が熱いよぉっ……」
ビアンカが切なげな声を上げる。全身が燃える様なのに、背筋がゾクゾクする。
だが、風邪の熱とは全く違う。そんな不快な物ではない。いや、むしろそれどころか…。
リュカ「流石1500ゴールドしただけの事はあるな…。すごい即効性だ…」
そう言いながら、リュカも自身の身体が熱く燃えたぎる様になるのを実感する。
ビアンカ「リュカぁっ…何なのこれぇっ……一体何を…!?」
ビアンカは体内を駆け巡る熱い衝動に身をよじらせた。
リュカの持っていた生薬の正体は「マンドラゴラ」と呼ばれる霊草だった。
旧い言葉で「愛の野草」を意味する、万能の霊薬とされる幻の植物だ。
しかしその世界樹の葉に匹敵する希少価値もさることながら、精製方法が極めて複雑かつ至難で、微妙な調合具合で霊薬にも毒薬にもなってしまう。
しかも実の部分は調合次第で麻薬、覚醒剤にもなる為、余程高度な調薬の技術を持った者でない限り、扱うのを硬く禁じられている。
但し、危険な麻薬になるのは飽くまで実の方。リュカが持っていた薬はマンドラゴラの根の部分を生薬にした物で、実とは違い安全な物だ。そしてマンドラゴラの根の効果は―媚薬。
丁度『ファイト一発』の延長線上の様な薬だ。
結婚後訪れたルラフェンの例の魔法研究の老人に結婚祝いにと、最も安全かつ実用的な根の生薬を安く譲って貰ったのだ。勿論、薬の知識の無いリュカはそんな得体の知れない薬危険でとてもじゃないからと最初は足踏みしていたのだが、根の部分には中毒性や習慣性はないからという(本当はこういう売り文句が一番危険なのだが)老人のしつこいくらいの「推し」と、色々と世話にな
った彼への信頼を信じる形で安全性への保証書として細かな解説書付きで譲り受けたのだった。
結局分厚い解説書を読破する迄二ヶ月以上掛かったが、お陰でこの霊薬についてのノウハウと安全性はよく飲み込めた。「円満な夫婦生活の為に」と薬を差し出した時の老人のニタニタした顔が思い出される。
―いや、中毒性や習慣性が無いなんて事を言い訳にするのは薬に頼ろうとする
自分への方便なのかも知れない。いくら安全でも、薬を体内に摂取するという行為は生物として自然とは言い難い。でも、それでも良かった。いくら人から偽善者と蔑まれようとも、この霊薬の力でビアンカを一時でも哀しみと寂しさ、不安と恐怖から解放出来るのなら。重要なのはビアンカが幸せでいる事だ。
それさえ保てれば、僕は喜んで悪魔にも魂を売ろう―。

リュカは全身を熱い衝動が突き上げるのを感じた。ビアンカに目をやる。
ビアンカは未知の感覚に身悶えしていた。頬が紅潮し、目は上目遣いで虚ろだ。
身体をくなくなとよじらせ、肌は熱を帯びてうっすらと赤みがかっている。
―何て綺麗なんだろう―。
リュカの瞳に映ったビアンカは、どんなものより美しく、淫らだった。
それ迄身悶えしていたビアンカがこちらをじっと見つめている夫の視線に気付いてふと我に返った。
―見られてる。
リュカに私が悶えてる所、じっと見られてる…。
はっ、恥ずかしい…。
リュカに己の純潔を捧げ、何度も身体を重ね合わせて来た筈なのに、何故今更いつもにも増してこんなに恥ずかしいのだろう…。
しかし、止められない。身体を熱い衝動が突き上げてきて、切なくてたまらない。勿論、彼女にはこの疼きを鎮める方法がよく分かっていた。
しかし、その事実に行き着いて、彼女はまた恥じらいで身を固くしてしまう。
羞恥は身体をより敏感にし、身体を火照らせる。敏感になった身体を持て余してまた激しく身悶える。その姿をリュカにじっと見られる。さらに恥ずかしくなる…。
悪循環だ。
―ああ、お願い、リュカ。見ないで、見ないでぇっ…。
と、それ迄こっちを見ているだけだったリュカが不意にこちらに擦り寄ってきた。ずりっ、ずりっと衣擦れの音が室内に響く。
ビアンカ「ひッ…!?」
何の予告もなしにリュカが這い寄って来たのを見て、ビアンカが思わず短い悲鳴を上げる。
何か、とても恐い物が這い寄ってくる様に見えて、ビアンカは思わず後ずさる。
それもそのはず、リュカの瞳には熱い欲望の炎がたぎっていた。一目で欲情してるのが分かる。目一杯に劣情の炎を灯して、哀れな獲物を追い詰める獅子の様に、ビアンカに這い寄る。
リュカ「ビアンカ…ビアンカっ…」
ビアンカ「あ、ぁあぁ…お、お願い、来ないで…そんな目であたしを見ないでぇっ…」
―そんな、性欲の捌け口の道具を見る様な目で。
それを見て取ったビアンカは、動揺を隠し切れないままベッドの上を逃げ回る。
が。
ゴツンッ…
背が何かにぶつかる。ビアンカは振り返る。そこは、ベッドが面している部屋の4隅の内の一つだった。いつの間にやら、彼女は隅っこに追いやられていたのだ。或いは自分でも無意識の内にリュカに捕まる事を望んで、わざと隅っこに移動したのだろうか…。
ビアンカが正面に目をやる。もうリュカの顔は、息がかかるくらいの距離まで来ていた。
心臓が跳ね上がる。只でさえ紅潮していた顔が増す増す紅くなるのが自分でも恥ずかしいくらい分かる。
もう、逃げられない。
ビアンカ「あ…あ……」
ビアンカは己の運命を悟った獲物の様に、ただわななきながらリュカの欲望の餌食になるのを待つしかなかった。
突然、リュカがビアンカの唇を塞いだ。先程よりもずっと荒々しく、凶悪な口付けだった。そして。
ヌロンッ…
再び、ビアンカの口内をリュカの舌が暴れ回った。
ビアンカ「んっ…んんーッ!?」
ビアンカの目が大きく見開かれる。先程の様な生易しい責めではなかった。
ビアンカの舌を、歯茎を、口内全体をめちゃくちゃに掻き回す、文字通りの『蹂躙』だった。
ビアンカの身体を電撃が走った。
「んっ!んーっvvんーっっvvんんーッvvv」
先程の様な静かな悦びではなく、快楽中枢をむちゃくちゃに引っ掻き回す様な、痛烈な快感だった。
ぐちゅっ、ぬるっ、ぬろっ…
ビアンカは恍惚とした瞳から涙を流し、身体を仰け反らせ、四肢を突っ張った。脳まで侵食されるかの様な快感。
―ああっ、堕ちる、堕ちちゃうう…。
ここで堕ちたら、もう這い上がれなくなる…。
恥ずかしい…。キスだけでこんなに乱れて、その痴態をリュカに全て見られて。
―拒まなくちゃ…。

…拒む?…何で?こんな…気持ちイイのに…。こんなに…リュカが愛してくれるのに…vv
羞恥は身体を過敏にさせ、過敏になった身体はより一層の悦びとなってリュカの愛撫を甘受する。
ビアンカ「んっ、んおっ…んおおっ…おおおおッ……」
ビアンカはもう意識を保っているのが精一杯だった。身体をがっちりと抱きしめられ、抵抗する事も拒む事も適わず、抵抗など出来る筈も無く、元より拒む気などある筈が無く、ただ呻き声の様な嬌声を塞がれた唇から漏らすしかなかった。と、
ちうううぅ…
ビアンカ「ッ!!??」
いきなりリュカがビアンカの舌をくわえると、それを激しく吸い始めた。
それが、止めだった。
ビアンカ「ッ!?…っvv!!vvv!?…………ッvvvv!!
……………………………vvv」
ビアンカは目を見開いて一際大きく仰け反ると四肢を突っ張ったまま全身をびっくんびっくんと激しく痙攣させる。そしてそのまま糸の切れた人形の様にがくんっとリュカの腕の中に崩れ落ちた。
ビアンカ「あ゛…ああ゛…あ゛〜〜〜っvv…」
リュカの腕の中で、白目を剥いて訳の分からない呻き声を上げる。だらしなく開いた口からはよだれが垂れている。
キスだけで達したばかりか、そのまま失神してしまった……。
リュカはその恋人の狂態をひときしり見届けると、今度は彼女の上着にそっと手を掛ける。勿論、この程度でリュカの欲望が僅かでも収まる訳が無い。むしろ、彼女の艶やかな痴態は彼の倒錯した情欲を増す増す煽り立てるのだった。
リュカ「綺麗だ…愛してる…愛してるよビアンカ…」
だがそううわ言の様に呟いたリュカの瞳には、澄んだ慈しみの色が浮かんでいるのだった…。


               ―つづく―



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